2009年7月11日土曜日

上医は国を医し、中医は民を医し、下医は病を医す

 医者としての仕事を考えるときに、ふと浮かんでくる言葉に、
「小医は病を医す 中医は人を医す 大医は国を医す」というものがあります。

この言葉の出典を調べてみたのですが、見つけることができず、
上医は国を医し、中医は民を医し、下医は病を医す という言葉が見つかりました。

 この言葉は、 西暦454年から473年にかけて書かれた、中国の陳延之(Chen Yanzhi)の著書『小品方“Xiaopin Fang”』にある、「上医医国、中医医民、下医医病」の語を読み下した物と考えられます。
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000025171
http://mayanagi.hum.ibaraki.ac.jp/paper01/shohinhonzo.htm
 
この言葉の出典である、小品方は、全十二巻から成り、唐令やこれに倣った日本の律令制度で医学生の必修教科書に指定され、当時の医書中で高い評価を得ていました。
http://mayanagi.hum.ibaraki.ac.jp/paper01/xiaopinfan.jp.html

 「上医医国、中医医民、下医医病」という言葉は、もともと『国語』晋語八の「上医医国、其次医人」に由来するものであろうとされています。

そして、上医は国を医す という言葉は、
すぐれた医者は、国の疾病である戦乱や弊風などを救うのが仕事であって、個人の病気を治すのはその次である、という意味のようです。
http://kotobank.jp/word/上医は国を医す


 また、ほぼ同じ表現で、「上医医国、中医医人、下医医病」という一文があります。
これは、唐代の名医、孫思〓(バク)の著書『千金方』巻一「診候」に書かれており、恐らく『小品方』から引用された文章であり、『小品方』の「民」が『千金方』で「人」に改められたのは、唐の太宗、李世民の「民」という字を避諱したものとしています
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000025171

 ちなみに、「医」という字は、意読で「いやす」と読めるので、「‥国をいやし、‥」が読みやすいと思います。

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